審判自体を回避できなくとも、審判による被害を最小限に抑えたい

 審判回避プロジェクト

208松濤本部前行動3.25/家庭連合からの妨害行為

■御殿場の原理本体論セミナーの研修施設を訪れ、劉先生と話し合った後の帰り際、私から問いかけられた方相逸局長は、はじめから苛立ちを隠すことなく「バカ」とか「バカ野郎」という言葉を連発していました。私は「韓氏オモニは生まれながらに原罪はないのですか」と聞きました。何度か聞いた後、方局長はようやく「ない、ない、ない」と答えていました。この質問がどうして方局長を苛立たせたのでしょうか。

このような苛立ちの現象は方局長のみならず、全ての家庭連合の幹部責任者に共通に生じるものです。周藤健元講師は礼拝参加の度に聞かれ、ずっと沈黙を通していましたが、昨年12月17日、本部玄関扉前で苛立ったように振り返りざま「おかしくありません」と答えました。また、近藤局長は昨年11月21日の大阪1万名大会の折、私の質問を、できれば振り払いたいというように逃げながら、「お母様がおっしゃる通りです」と答えました。


■また井口康雄氏は同大阪大会の折、私の質問を大声でかき消し、なんとか無視しようと努力していましたが、しつこく「血統転換胎中からですか」と迫った私に、やぶれかぶれのように「当たり前じゃないか」という答えをしたのです。すなわち、誰も韓氏オモニが生まれながらに原罪がないとは、そもそも信じていないし、答えるとなればウソをつく以外にないので、その質問には答えたくないのです。

韓氏オモニの無原罪誕生という、突然降って湧いた、とんでも新理論に対して、幹部責任者の誰ひとりとして拒否できない大きな力が、上からのしかかっています。だから、できればその圧力を受け流して大勢に身を任せ、その問題には触れたくない、聞かれたくない、そっとしておいてもらいたいというのが本音なのです。

アメリカ指導者会議

■このとんでも新理論を一方的に押し付けられ、全員がそれを信じている振りをしながら、内心では誰も信じてなどいません。ですから、幹部責任者は基本的に原理に背く後ろめたさを抱えており、また、絶対に論争して勝てる訳がありませんので、彼らは正面からサンクチュアリとぶつかることを願っていません。

ところが今回、御殿場の劉先生と江利川会長に抗議するよう、趙誠一対外協力室長に命じられました。方局長も近藤局長も井口氏も、本音では御殿場まで来たくはなかったでしょう。しかし、御殿場まで行ってサンクチュアリにちゃんと抗議して来ましたという報告が出来る、その形だけでも作らなければなりませんでした。

方局長はセミナー2日目に御殿場を訪れ、劉先生に面会することは出来ましたが、面と向かって抗議するとかの余裕はなく、一方的に劉先生からの話しを聞かされっぱなしでした。だから帰り際、私から話しかけた時に、そのストレスで方局長は初めから苛立っていたのです。方局長は連れの若い男に劉先生と話し合っているところの写真を撮らせていました。自分が仕事をした証拠として、その写真を趙室長に見せる訳です。

近藤徳茂

■一方、近藤局長は3日目に事務所を訪れ、何らかのクレームを行ったことが、4日目に江利川先生が事務所に呼ばれたことで初めて分かりました。近藤局長のミッションも方局長と同じく、劉先生と江利川会長に直接会って抗議することだったはずです。そうでなければ、わざわざ御殿場まで来る意味がありません。しかし、受付でのクレームだけで済ませ、さっさと帰ってしまいました。趙室長にはどのような報告をしたのでしょうか。

近藤局長の抗議手法は、机の上で「法的手続をも辞さない」という常套句の通知文を書いて自分の名前に押印し、封筒に入れて発送して終わりというパターンしかありませんので、きっと、対抗相手に直接会って抗議するという、実体での応酬には慣れていないのでしょう。

また、今年1月14日、松濤本部での抗議活動の時、ガレージ前で周藤健の到着を待っている近藤局長を見つけ、私が挨拶したと思ったら、あっという間に逃げて姿を消してしまったことがありました。近藤局長は大阪大会で追いかけられたことがトラウマになり、私からの質問と動画撮影に敏感になっており、劉先生と江利川会長に直接抗議するとなれば、私がすぐに見つけ、必ずカメラを向けて食いついてくることは目に見えていますので、それを避けたのだと思います。

参考→190松涛本部前行動/何も言えない周藤健

■井口さんも劉先生と江利川会長に直接抗議するなら、大きな手柄になったでしょうに、事務所への抗議だけで済ませ、むしろ私から見つからないように隠れていました。

佳約式

■私達はもう1年以上も松濤本部前で抗議活動をしていますが、全ての教会員は幹部責任者を含め、無視を決め込んで私達の前を通り過ぎるだけです。少なくとも幹部責任者であるなら、 韓氏オモニを私達の批判から守り、擁護し、偉大な独生女、宇宙の母として証するべきでしょう。

ところが、何の反論も、抗議も、論争も、証しもありません。大西江原の両人が「礼拝妨害、通行の邪魔、声が大きい、近所迷惑」と言ってくるだけです。私達を論破し、説得し、回心させることを諦めているのです。彼らには真実がなく、自分達でも、初めから韓氏オモニを少しも信じていないのです。

***

■佳約式という言葉が、以下の証しの中に出て来ます。

□池生蓮:お母様と私との初めての縁は、真のお父様のお相手の選択のために私が個人的に百日精誠祈祷を捧げていたときではないかと思います。一九五八年の冬のことです。当時の教会の内的な雰囲気は、何よりお父様のお相手の選択に対する関心と精誠に満ちていました。当時、教会を通っていた大部分の女性たちは、未婚の女性であれ、おばあさんであれ、ひいては既婚女性であるとにかかわりなく、もしかしたら自分がお父様のお相手となって人類の真の母の位置に立つのでは、というどうしようもない人間的な欲心と期待でざわついていました。このような草創期の教会の雰囲気が、時間がたつにつれてある緊張と混乱を増すように思えて、私は、神様があらかじめ準備されたお母様が早く現れたらという気持ちが切実でした。

それで、このために個人的に百日祈祷を捧げることにしたのです。そのときの私は、梨花女子大迫害事件によって卒業を二か月後に控えて学校から追い出されたのち、ソウルの新世界デパートの向かい側にあった商業銀行本店で営業社員として働いていました。明け方五時に起きて、南山中腹で比較的安全そうな所を探して、毎日祈祷を捧げました。

「天のお父様、先生の内助者は何よりも先生に絶対的に従順に従い、先生のみ旨を理解する女性でなければなりません(当時、私たちはお父様を先生と呼んだ)。忍耐力が強く、心が揺れ動かず、み旨の道を行くのにどのような困難に突き当たっても耐え、一途な姿勢で先生を内助できる女性でなければなりません。ですから、私たちの貴い先生によく侍りながら、あなたのみ旨を成就するのに大きな力となりうるかたをお送りくださいませ」。

このような摂理的な条件のほかにも、お父様のお相手は、人間的にも資質が優れていて、真のお父様とよく調和する人でなければならないと私は考えました。それで、そのお相手が、美しい容貌にして、背が適度にあって、知能が高く、声も美しかったらという願いを、具体的に父なる神様に祈祷しました。

当時は、真のお母様を迎えるためにこのような精誠と祈祷を捧げた食口たちが、たぶん私以外にもたくさんいたはずです。天のお父様は私のこのような祈祷を、いや私たちすべてのこのような願いを聞き入れてくださいました。一九六〇年三月二十七日(陰三月一日)の朝四時、天は当時、一輪の花のようだった韓鶴子様をお相手として決定なさったのです。

私は、お母様がお相手に決まる前に、時折、教会でお母様を見かけたことがありますが、容貌がずば抜けているのが印象的でした。まるで苦労を知らないような貴い雰囲気があり、身なりがこぎれいであられました。当時、お母様の実の母であられる大母・洪順愛様は、お父様の食事を準備する仕事をされていました。お母様も当時は平凡な学生信徒として定期礼拝に参加されていましたが、時折、母親に会いに青坡洞の本部教会に立ち寄られたりすることもありました。

この証を書きながら当時のお母様のお姿が写っている写真を再び注意深く見ました。いつも感じることなのですが、お母様はずば抜けた美人の容貌をおもちになっています。韓国人は概して顔が丸かったり、角ばった四角型ですが、お母様の顔はあごのほうに下がるほど顔の線が柔らかく内側に集まる、いわゆる卵型です。それとともに、顔の左右のバランスが完璧に取れており、容貌の一つ一が繊細にして全体的な調和を成しておられます。お母様が人々の間におられたら、まずこのようにずば抜けた美しさのために、あたかも鶏群の一鶴のような光を発せられるのではないかと思います。お母様の名前の鶴子は、当時の容貌と感じをとてもよく表現していると思います。私が神様に祈祷を捧げながら夢うつつの中に想像していた真のお母様の姿よりも、はるかに幼いかたが、いざお父様のお相手に選はれたことで、私は初めは腑に落ちずに心配にもなりました。「あのように幼いかたが、かくも困難なメシヤのみ旨の道をお父様と共に歩むことができるのだろうか」。

佳約式(夫婦になる口固め)に出てこられたお母様は、きわめて慎重で注意深かったです。天の摂理の道の第一歩を踏み出されるお母様の姿には、天が六千年の復帰摂理を通じて準備しておかれた宇宙の母としての品位が滲みでていました。私はそのようなお母様の姿を見ながら、神様が私の祈祷を聞き入れてくださったようで、とてもほほえましく感じました。お母様はこの日、「春が来ると山野につつじの花が咲く。つつじの花が咲く所に私の心も咲く…」と歌われましたが、声が玉のように澄んで清らかでした。お父様は今でもお母様にこの歌を時々歌うようにおっしゃいますが、たぶん私のようにそのときの清らかな美しさを覚えておられるからなのでしょう。

お母様はご聖婚初期にはほとんど話をされることなく、いつも静かで落ち着いた態度で私たちの前に姿を見せられました。各種の教会行事や食口たちの集いで、お父様の傍らや後ろに従順に座っておられ、沈黙を平安に守られるのはもちろん、喜怒哀楽の感情の変化を少しも表にお出しになりませんでした。

終始一貫という言葉で表現することのできるある落ち着きと沈黙の印象が、当時のお母様の周りを常に包んでいました。周囲に起こる変化をすべてご自身の心の中で深く観察されて、経験と直観を心の内にのみ積まれていかれるようなお母様の内性的な姿勢は、むやみに干渉することのできないある種の威厳に感じられたりもしました。このようなお母様の一様な威厳は、四十年過ぎた今日にいたるまでそのままであり、慈しみ深い品性を知りながらも人々は、お母様に対して控え目になるし近づきがたく感じるのです。時間が流れるにつれて、私はお母様のこのような一様な威厳と言行が、どれほど大きい力で教会とお父様の仕事を助けてきたかを悟るようになりました。(2002.12.1)


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■ プロフィール

澤田地平

Author:澤田地平
1953年長崎県生まれ
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