審判自体を回避できなくとも、審判による被害を最小限に抑えたい

 審判回避プロジェクト

9 お父様は一歩も引かれなかった--神山先生(6/8)

□神山先生:なぜかというとね、2000年前の話をしましょう、イエス様のね。イエス様が亡くなって十字架にかかったでしょう。なぜ十字架にかかったか。その時の、メシヤとしてこの地上に送った神様の計画は何だったと思います。神様の計画は、メシヤをこの地上に送って、まず親族がイエス様とひとつになり、そしてユダヤ教がひとつになり、そして民族が、ユダヤ民族がひとつになり、ローマがひとつになり、そして理想の天国を世界化しなければいけなかった。

その時、イエス様の親族が、そしてまたユダヤ教が信じたと思いますか。出来なかった。出来ないこのことに対して、サタンは容赦なく神様に訴えます。神様、メシヤを送った目的は何ですか、サタンは問うたというのです、神様に。また、ユダヤ教をまとめないといけなかった洗礼ヨハネがいましたよ、洗礼ヨハネがね。本当にひとつになってイスラエルの民に、そしてローマに拡大するのが、神様、あなたの計画じゃないですか。出来てないじゃないか。

イエス様の30歳からの生涯は、自分を信じてほしい、自分を信じなきゃいけないということを、繰り返し、繰り返し語られた。自分の言葉が信じられないなら、やってることだけでも信じてほしいと。ライ病や病人は癒されている、この事実を見てと。しかし、みんな不信ですよ、イエス様に対する、洗礼ヨハネまで。洗礼ヨハネは女の産んだ者の中で洗礼ヨハネほど大いなる人物はいなかったけれども、霊界では最も下の者も、彼よりは高いというんです。

ということは、イエス様に対する不信ですよ。不信ゆえにそんな立場に立った。女が産んだ中で彼より偉大な人はいなかった。しかし、霊界では最も下の者も高い位置にいる。イエス様に対する不信ですよ。だから、彼の行く末というのは悲惨な運命になっていったじゃないですか、悲惨な運命に。あることで牢につながれて、サロメという女の子がヘロデ王様の前で舞いを踊って、あまりにも素晴らしいから、ヘロデ王様が何でも上げるから言ってみな。

そうしたら、サロメという女はお母さんに相談して、お母さんが洗礼ヨハネの首をお盆に乗せてもらって来なさいと言って、牢獄の中で切られてお盆に乗せて、サロメという女に渡されたのよ。こんなに惨めな死に方ですよ、彼は。サタンは神様に、この人達の不信の罪に対してどうする、どう責任を取る、神様。罪の支払う報酬は死だとするならば、この彼らを、この親族からユダヤ民族、全部、我が手の中に寄越せ、とサタンは要求したというんですよ。

これがサタンに奪われちゃうということは、理想天国の建設は不可能。それを願わなかった神様は、サタンに対して、ちょっと待て、待て待て待て待てと、サタンをなだめたというのです。だから聖書を見ると、なだめの供え物だったと聖書は記録しているんですよ。ヤコブ書を見るとね、なだめの供え物。何をなだめたのか。パウロはあがないの供え物とやったんだけども、イエスの十字架は予定だったとやったから、あがない。

しかし、ヤコブという人はそうじゃないです。イエス様の死は、なだめの供え物だった。何をなだめたのか、サタンをなだめたと言った。ちょっと待てと、これに手を付けるな、しばらく手を付けるな。その代わりイエス様をあんたに渡すからと言って。サタンはイエス様を散々試練しましたよ。イエス様が神様の為に行くか、自分を中心として行くかという、その試練の中に追い込まれて行きましたよ。

たとえば、ゲッセマネの園において、汗が血の滴りとなる程、この苦杯を取り除いて下さい、死ぬのはいやだ生かしてほしいと必死に神様に懇願しましたよ。汗が血の滴りとなったら、深刻な祈りだったでしょう。しかし、もしそれが自分の叫びで終わったとすれば、サタンはイエス様を完全に引っかけました。イエス様を引っ張って行ったと。

ここの人達はいつも神とサタン側の闘いに、いつもサタン側に負けるような人達だから、これは問題ない。イエス様に対してはサタンも深刻だったです。しかし、そういう祈りをするイエス様はぐっと変えて、私の思いじゃなくて、あなたのみ意がなるようにして下さいと言って、自分の叫びから、神様の願いの中に生きたから、サタンはどうすることも出来なくなったというんですよ。サタンはイエス様に手を付けることが出来なかった。

また、十字架上で、具体的に死ぬ時に、最も苦しみの中で、イエス様は最後の叫びをしました、どんな叫び。我が神我が神、なぜ私を見捨てるのですか、こんなに神様の為に生きた私を、なぜ見捨てるのですかと叫んだ。その叫びで終わったとしたら大変だった。しかしイエス様はぐっと変えて、我が霊の全てをあなたに委ねますよと。どうぞ彼らを許してあげてほしい、彼らは為すところを知らないと言って、自分を殺す彼らの為に祈る、そのイエス様の前にサタンはどうすることも出来ないよ。

怨讐を愛していくイエス様の前にどうすることも出来ない。神様の願いの中に生きてる。だからイエス様は十字架で死を遂げたけども、復活したというんです。復活したところのイエス様からキリスト教は出発したんです。十字架から出発したんじゃない。そして、黄泉に下って、三日間サタンの試練を受けた、三日間徹底して。しかし、そこでもイエス様は、我は世に勝てりですよ。要するにサタンに勝った。だから復活したというんです。復活したところから、キリスト教が出発した。

と同じように、お父様におかれましても、サタンは容赦なく責めましたよ、お父様に対して。見てみなと。メシヤとして送ったんですよ。そして、ここにいらっしゃるお母様、そしてまた、そこの間に生まれたお子様達、そしてお父様に命がけで育てられた弟子達、弟子達がいますよ。この弟子達が、どうですか。みんなお父様に対して不信してるじゃないか。

これに対してどう責任取る。神様の計画は、お母様を迎えて、真の母として教育し、そして真の子女、そして、この人達をもって神の国を創ることではないか。しかし不信して、その計画がならない。どうしてくれると言ってサタンは神様を。そしたら、神様はちょって待てと、待て、この人達は確かに不信して罪を犯し、罪の支払う報酬は死だと、確かに分かる。しかし、しばらく待て、この人達に手を付けるな、しばらく待てと言って、神様はお父様をサタンに引き渡して、サタンによって散々試練されましたよ。

試練されてもお父様は一歩も引かなかったというんです。引かなかったというんですよ。イエス様においては、自分の叫び、それから神様の願い、これが内心において闘いましたよ。自分の叫び、いや神様の願いになってほしいとして。しかし、自分の願いを置いて、神様の願いに生きたから、聖人という基準をイエス様は立てたというんです。聖人という基準を。

聖人は今までの歴史において4人しかいないと言われてたんだけど、お父様が立てた基準というのは聖人じゃないというんです。お父様が立てた基準は聖子です、聖子。聖子というのは何かというと、私の願いは神様の願い、神様の願いは私の願い、全てをそこにおいて生きた方ですよ。だから、そのお父様の前にサタンはどうすることも出来なかったというんですよ。どうすることも出来なかった。そして、そのお父様は祭物になって、祭物になって死を遂げました。


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■ プロフィール

澤田地平

Author:澤田地平
1953年長崎県生まれ
6000家庭
サンクチュアリ江戸川教会教会長
携帯:080-3272-0026
e-mail:swdsw5@yahoo.co.jp
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